2010年10月

アンケートがかなり回収できてきた。

殆どが、気兼ねしてということもあろうが、お褒めの言葉を頂く中、厳しい意見も何件か頂いている。

私はこうした厳しいご意見を頂くことを本当にありがたく思っている。

先日触れた「ほこり」の件も指摘を受けたことによって、今では机の上や照明の上にホコリが全くない状態で、ピカピカに保たれている。

ただ、こうしてすぐに改善できるものばかりではない。

今までは学力を上げることに100%の力を注いできたが、それだけでは塾としては不完全のようだ。

今回の指摘は、「ホコリ」の件とは違い、良く認識していたが、そこまで手が回らなかったことだ。

また、そこまで期待されなかったから、今まで指摘を受けなかったのかもしれない。

それだけ期待度が増してきた表れなのかもしれない。

やはり期待には答えて立つべきだし、その体力も整いつつある。

学力向上という以外でも、塾としての信頼度を高めるように努めていきたい。

イメージ 1

今日、画像のシューズボックス 4列4段16人用(オープンタイプ/中棚付)を2つ注文した。

看板の取り付けに合わせようとしたが、納期の関係で数日間、遅れてしまうようだ。

これが設置されれば、今までのような玄関口の混雑さは解消されるだろう。

本当は自習室など全てを同時に設置しようと考えていたが、数社の業者から購入することになり断念した。

そのため、何日間かは、玄関口と面談室が不完全なような印象を与える可能性がある。

できるだけそうならないように、他の設置も急ぐことにしよう。

看板の改装工事の日程が11月1日の早朝に決まった。
 
今回の改装は、大看板、窓シート3枚、袖看板2枚である。
 
看板屋さんにはレイアウト作成に当たり、何度も加筆・修正依頼でご苦労をおかけしたが、その甲斐あって、満足いくレイアウトが完成した。
 
実は大看板の作成中に、「少しごちゃごちゃしているのでは」と、看板屋さんからアドバイスも頂いた。
 
確かに街中の看板を見ると、シンプルなものが多い。
 
だが、私見としては、看板は目立った方が良いと考えている。
 
そのため、今回は写真や絵を挿入し、人目を引くことを意識して仕上げた。
 
また、通塾して頂いている生徒さんたちが、友達に自慢できるように、明るく楽しい雰囲気を与えるようにも工夫したつもりである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

日々の教室運営にあたり、時間がかかっている業務を3つあげると、①掃除、②当日講師の方々に配布する学習報告書の整理、③個別トレーニングの管理となる。
 
11月からこの3つを順次、他の方に任せていこうと考えている。
 
理由は明白である。
 
やらなければならないことが増え、全てを一人でこなせなくなってきたためである。
 
当然、やりたいこと、したいことは、2の次、3の次になってしまう。
 
これでは発展は望めないし、幅も広がらない。
 
そのため、とても大切だけれど、人に任せられるものはどんどん任せていこうと考えた結果である。
 
任せようと考えている方は何十年にもわたり、教室運営に携わってきた経験豊富な方である。
 
いろいろと教えて頂くこともでてくると思う。
 
また、私にとっては新業務なため、迷惑をかけることもあるかもしれない。
 
ただ、軌道に乗れば、お互いに有益な関係になれると信じている。
 
そして、沢山の方とかかわり合ことによって、ステップアカデミーが単体として強くたくましくなってくれれば本望である。
 
 
 
 

アンケートが戻りつつあるが、「教室が狭い」という意見を数件頂いた。
 
5階から4階に移り、2倍の広さになった時には、あれほど広く感じていたのに、おもしろいものである。
 
原因はレイアウト変更したことに間違いはないだろう。
 
その際に、少しでも多くの生徒さんに利用して頂けるようにと、支障が出ないであろうと考えた限界まで、廊下の幅などを抑えたためだ。
 
その結果、「狭い」と感じることもあるかもしれないが、勉強を集中できるスペースはパーティションで仕切ることによって確保した。
 
実際に、教室の静かさは保たれ、レイアウト変更前より、「紹介」による入塾者が増えている事実からも、満足度は増していると考えている。
 
「狭い」と言えば、今度、広い面談室の一部を自習ができる個別ブースに変更することによって、全体としては、なお一層、狭く感じてしまうかもしれない。
 
だが、勉強する空間は確実に増えるので、満足度は高まると考えている。
 
 

先週の土曜に英検、今日は漢検を実施し、今期のステップアカデミーの各種検定は終了となる。
 
各種検定については今期も参加者は低調が続き、なかなか盛り上がらない。
 
原因は私のマネージメントに問題があるのは明白だ。
 
来季は今期の二の舞を踏まないように周到な準備をして臨むようにしたい。
 
 

「こうして欲しい」「ああして欲しい」と相手に期待していることに対して、そうしてくれないことはよくあるものである。

そんな時、実は相手にきちんと明確な意思や指示を伝えていないケースが多いような気がする。

だから、きちんと伝えたかを検証することが賢明だ。

また、時には単に伝えるだけではなく、自分がどうしてそうして欲しいかを伝え、話し合うことが必要な時もある。

やはり大切なのはコミュニケーションだ。

日本人特有な「あ・う・ん」の呼吸も時には大切だろうが、それも日ごろの密なコミュニケーションがあってこその話だと思う。

教室運営で特に気をつけていることの一つが毎日の掃除だ。

『5つに誓い』の中にある「妥協のない清潔さを保ち」という言葉を胸に刻みながら、かなり時間をかけて取り組んでいる。

自分ではそれなりに綺麗にしているつもりでいた。

それが、早速回収したアンケートの中に「机の上や照明の上のホコリが凄く気になるので、もう少し綺麗にして欲しい」という厳しい意見を頂いた。

そう言われてみると、ホウキで掃くことばかりにこだわって、ふき掃除が疎かだったようにも思う。

明日から、ふき掃除も毎日、徹底的にしていくことにしよう。

とうとうと言うべくか、やっとと言うべきか、生徒数100人の大台に向けてのカウントダウンが始まった。

既に数人の体験授業の予約も入っていて、大台も通過点となりそうだ。

思えば、年始に『行列ができる教室』を今年の目標とした時点ではレイアウト変更前ということもあり、定員を80名前後と見込んでいたが、既にその生徒数は通過している。

また、現状は、一部の時間帯で定員に達したり、あと1~2名で定員になる時間帯が多くなってきた。

さらに定員を120名とする予定なので、後20数名純増で今年の目標の『行列ができる教室』の完成となる。

年末までにこの純増は例年を考えると無謀なのだが、10月に入っても衰えないお問い合わせ状況を考えると達成してしまうような気もする。

ただ、どんなに生徒数が増えたとしても、一人ひとりにきちんと目が行き届く体制を維持し、いや強化していきたい。

予定では今年中に教室内の改装を済ませ、来年早々に外の看板を見直す予定だった。

それを大幅に前倒しし、玄関口と面談室の改装を済ます前に看板の改装に着手することになった。

きっかけは、面談室にある窓ガラスにシート加工しようと思い立ったのがきっかけだった。

当初、シート加工は教室内から貼り付けようと考えたので、面談室の改装前にしたほうがしやすいと考えた。

そこで従来から頼んでいる看板屋さんに見積もりしてもらうと、窓ガラスのシート加工を内側から貼り付けるだけでも施工費が予想以上にかかることが分かった。

しかも、窓ガラスのシート加工は外側から貼り付けたほうが、見やすい上に窓ガラスが割れる心配もないらしい。(中から貼り付けた場合、割れることがあるらしい。)

外側から貼り付けるならば、来春予定していた外看板も含めて一度に施工して頂いたほうが、賢明だと考えるに至った。

看板のレイアウトは看板屋さんにチラシのデータを渡し、それを参考に作成して頂くことにした。

シート加工しようと思い立ったのが2日前だったので、それを考えると急展開だ。

ただ、元々計画していたことでもあり、思い立ったら吉日。

できることはどんどん前倒しでやっていくことにしよう。

開校4周年アンケートを去年に引き続き、保護者用、生徒用に分けて、今日から配布した。

アンケート内容はほぼ去年と同じ。

違いは、三者面談・塾内テスト・各種検定を全員参加か、希望制か、廃止すべきかの質問を追加したぐらい。

継続的に同じような質問を繰り返すことによって、気がつかない変化を見つけることができると考えている。

ところで、毎年、貴重な意見を頂き、とても教室運営に役立っているが、今年は母集団が増えたので、従来以上に豊富な意見を頂けることを期待している。

直面している課題について、人と対話することによって、決断できたり、今ままで思いつかなかったことがひらめくことがある。

先日、法人化の延期のことを触れたが、その日に税理士さんと話すことによって決断することができた。

また、このところの生徒増に伴い、昨日も月謝の請求~入金の業務にとても時間がかかった。

この件を今朝、妻に話しているうちに、とても良いアイディアを思いついた。

それは日常のちょっとした工夫でとても効率が上がるものだった。

人は話すことによって、頭の中が整理されるようになっているらしい。

今後も沢山の方々と対話することによって、いろいろな”ひらめき”を得ていきたい。

主体的に生きよう。

「~させられている」と感じながら日々を送っているとしたら、心の中は奴隷化している。

もし、人生に勝ち負けがあるとしたら、私は主体的に生きれたかどうかだと思っている。

どんな立派な職種・地位に就いたからといって、主体的につかんだものでなければ充実感は得られない。

逆に世間では評価を受けにくい職種・地位であったとしても、主体的に選んだものであれば充実した人生を送れるであろう。

日々の仕事についてもそうだ。

単調でつまらないと思えば、「~させられている」という気持ちが芽生える。

同じ仕事でも、主体的に取り組むことによって、創意工夫しようという気持ちが芽生え、充実感が得られる。

ステップアカデミーに通う生徒さんにも、「勉強をさせられている。」と感じずに、主体的に取り組むようになって頂きたいと考えている。

その思いから、ステップアカデミーの理念として、『自ら目標を持ち、自ら取り組む ことを“ 成功への要因 ” 』と位置付けている。

今日、試験的に個別トレーニングを2人の講師の方に担当して頂いた。

以前、土曜日担当の方に業務を覚えて頂くためにして頂いた以来のことだ。

その時は、私の席でして頂いたため、業務が滞りがちになったことの反省から、生徒用の席を利用して頂いた。

そのかいあって、電話対応などの私の業務も滞りなくできた。

ただ、10名以上を担当するようになると、個別トレーニングが不慣れな講師の方にとっては大変なようだった。

今後、他にも課題が見つかるだろうが、方向性は間違っていないと思うので、いろいろと模索しながら、生徒さんにとって一番効果的な体制を見つけていきたいと考えている。

玄関口と面談室の改良について、なかなか具体的なイメージがわいてこなかった。

理由はもう1つ大切なことを取り入れていなかったからかもしれない。

それは席を増やすこと。

一人ひとりが集中して勉強できる個別ブースを増やしたほうが、私のデスクを置いたり、休憩室を充実させるよりも大切なことのような気がしてきた。

そうした観点に立つと、イメージが膨らみ始めてきた。

靴箱の増設は急務なのだが、全体が固まらないとそれだけを先にというわけにもいかない。

レイアウトは決めてしまうとすぐに変更するわけにもいかないから、ここは十分に考え抜くことにしよう。

来年初めから法人化することを検討してきたが、延期することにした。

法人化する目的はいろいろあるが、検討するきっかけは、節税であった。

税金の専門家である税理士さんから「検討したほうが良いですよ」と言われるとその気になるものである。

ただ、検討するうちに節税目的だけで法人化するメリットは感じなくなってきた。

もっと内部体制を整え、自他共に法人格に値すると認知された時に決断することにした。

その目標を来年の9月末にすることにし、今から準備していくことにする。

今日、昼ごはんに大戸屋に行った時に目に停まった『”家庭食”宣言。』

実に大戸屋の思いというか、理念が分かりやすく表現されていた。

それによると大戸屋の創業は昭和33年。

今年で52周年ということになる。

かたや、ステップアカデミーは4周年。

大戸屋の『”家庭食”宣言。』をまねた『”個別指導”宣言。』を48年後のステップアカデミーに思いをはせて作ってみた。


『ただ、教えるだけではなく、生涯忘れることができない学習塾でありたい。

創業者のそんな思いは平成18年、

駅前個別指導塾としてかたちになりました。

以来、こだわり続けてきたのは、

成績が上がる個別指導を

手頃な料金で提供すること、

何よりも一人ひとりの到達度に応じた授業を

まごころ込めて指導すること。

ごく当たり前のことを

当たり前にできること、

国内外に250店を超えた現在も

個別指導塾のあるべき姿だと

私たちは考えています。』

教室内では携帯電話は禁止である。

授業に集中する環境であるために当然なルールだと考えている。

壁には『携帯電話使用禁止』の張り紙もして注意を促している。

その甲斐あってか、授業中に携帯電話を使う生徒さんは皆無・・・のはずだった。

それが今日、個別トレーニングの授業中、私の目の前を悪びれる様子もなく、携帯電話を耳につけ通り過ぎて玄関口のほうへ行く生徒さんがいた。

目を疑ったが、何かとても重要なことでもあったのかと思い、戻ってきた時に聞くと、友達からの電話だという。

久しぶりに叱ったが、それでも、「携帯電話が鳴ってるのをそのままにしていて良いの」と食い下がってきた。

ここで大切なことは、ルールに対して厳格な態度をとることだと考えている。

そのため「ルールを守れないのならここにはいられない」ことを強く諭した。

ところで、世の中が暮らしやすく便利になり喜ばしいことだが、文明のデミリットが我々を襲ってくることがある。

そこから身を守るにはやはりルールを作り守ることだ。

その枠組みを作るのは我々大人の仕事だ。

国という大きな組織だけではなく、小さな教室の中にも同じことだ。

次代を担う私たちの宝である子供たちを、文明のデミリットから守り、秩序ある生活を送れるように努力することが大切であると思うのである。

一般的に「先生は若い方が生徒からの人気がある」とよく聞くが、私はそうは思っていない。

私の小学生時代に特に印象に残った先生を2人紹介しよう。

1人は私が小学1年生の時の担当の先生で、大学を卒業したばかりの若い先生。

スポーツが得意でギターを弾き、生徒からはとても人気があり、私も大好きであった。

もう1人は小学4年生から6年生まで担当だった50歳を過ぎた先生で、私の卒業後、すぐに教頭先生になられた。

この先生は眼光鋭く厳しい先生だったが、なぜがみんなから好かれ尊敬されていた。

前者の若い先生は社会人になったばかりで、希望に満ちていた。

後者の年配の先生は長年の経験により、『信念』と『自信』に満ちていた。

これは、昨日の『青春』の詩に基づいて解釈させて頂いたものだ。

つまり、年齢的に若いから人気があったのではなく、『創造力・強い意志・情熱・勇気』があったからこそ、人気があったのだ。

年齢を重ねるうちに、情熱などを失ってしまう輩が比較的多いので、最初に述べたようなことが一般的に言われているのではないかと推測する。

裏を返せば、気持ちの持ちようで、いつまでも魅力的であり続くことができるということだ。

講師の採用に当たり、この点を特に注意しているおかげなのか、年齢にかかわらず、尊敬できる方々ばかりにお越し頂いている。

生徒さんが大人になってから、私のように「あんな良い先生に出会えて良かったな」と述懐して頂けるよう、これからも良い人材を集めていきたい。

今日の新聞にあの有名な『青春』の詩の一部が引用されていた。

『青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。』で始まる『青春』の詩は多くの人に感銘を与えた。

私もその一人である。

久しぶりに偶然、見かけたことをいい機会とし、全文をこのブログに掲載しておくことにした。

これで、いつでも見返すことができる。

ところで、この詩人が80歳の時にこの詩を読んだことも意味深い。

私もいつまでもこの詩人ような気持ちでいたいものである。



サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年 - 1924年)は、アメリカ合衆国の実業家、(詩人、教育者)。ドイツ・ヘッヒンゲン (de:Hechingen) の生まれ。ユダヤ系ドイツ人であったため、迫害を避けアメリカへ渡る。 アラバマ州バーミングハムに住み、荒物商を営みながら執筆を続けた。80歳の記念に自費出版した『80歳の歳月の高見にて』に収められた詩"YOUTH"(青春)は名高い。この詩は第二次世界大戦後、アメリカの雑誌リーダーズ・ダイジェストに掲載され、連合国総司令官を務めたダグラス・マッカーサー元帥が座右の銘として執務室に掲げたことから、日本でも知られるようになった。経済界の先に立つ人物の間では古くから有名で、松下幸之助も座右の銘としていたと言われている。


引用(『青春』全文)

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の
煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。

感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。


YOUTH

Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.



you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.


So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

Given to Mc carthur some years ago by John
W. Lewist is based on a poem written by the late
Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.

先日、勉強に対してなかなかやる気が起きない生徒さんに対して、何かのきっかけになればと考え、保護者を交えた臨時の三者面談を授業終了後にセッティングした。

私は勉強に対してやる気を起こして欲しいという気持ちを彼にぶつけてみたが、面談後の感触は芳しくはなかった。

もっと効果的な一言がなかったか悔やむ一方、そもそも、やる気を出すべきだと諭すこと自体が逆効果のような気もした。

と、いうのも、「人は自分の思ったようになっていく」と私は信じているので、周りから諭すこと自体がやる気が起こせない自分像を作り出してしまっている気もするからである。

ただし、人の気持ちを動かすのは熱意であることは間違いないと思う。

今後も彼の気持ちを前向きに動かせるようにいろんな刺激を考えていきたい。

開校から4年の歳月が過ぎ、5年目に突入した。

この機会に文体を変えることにした。

文体が変われば目線も変わってくる。

何度かこのブログでも触れたとおり、このブログを続けている理由は大きくは2つ。

1つはステップアカデミーがどういう塾なのかを知って頂きたいという気持ちから。

もう1つは自分の考えの整理のため。

始めたきっかけは最初の気持ちがほとんどだったが、いつしか、もう1つの気持ちが芽生え、次第にその比重が大きくなっていった。

そして今では、後者の比重のほうが大きくなっている。

そうなると、従来の文体が煩わしくなりだした。

自分の内なる気持ちを素直に表現するにはこの文体のほうが良い。

また、塾に興味を抱いて頂いた方々にも、リアルに塾の本質を知って頂けるような気がする。

つまり、自分に対面する表現により、従来以上に塾運営や目指していきたい方向性を正確に伝えられるように思うのである。

私にとっては文体変更はちょっとした冒険だが、常により良い方向を目指し、変化していきたいという気持ちを大切にし、今回の変更を決意した。

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