『求めよ、さらば与えられん』とは、与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に努力すれば、必ずよい結果が得られるということ。

元々は新約聖書「マタイ伝」から転じているので、宗教的な意味合いも強いのだろうが、ここでは、最初に記した意味で進めていきたい。

確かに、欲しい、欲しいと言うばかりで、何の努力をしなければ、よい結果を得ることはないだろう。

ただ、努力をしたいとも思えないような欲求は、生理的なものにとどまる。


この言葉の意味深いのは、『求められるか』ということではないだろうか。

目の前にお宝が転がっていても、気がつかなければ、求めることもない。

いや、たとえ、お宝が見えたとしても、その価値を分からなければ、これまた、求めることはない。

『欲しい』と思うことすらなく、お宝を通り過ごしてしまうのである。

対象物に気がつき、その価値が分かって、はじめて、強く求めることができる。

そして、自ら積極的に努力するように、いや努力したくなる。

そうなれば、すでに与えられたも同然。

~『求めよ、さらば与えられん』とは、そういった意味でもあるように思うのである。



では、そのためには、どうしたら、良いのだろう。

子供のころは、沢山の知識を吸収すること。

そうすることによって、視野が広がり、求めたいものが見えてくるだろう。

大人になってからは、その知識をつかい、知恵をだすこと。

そうすることによって、今まで見えてこなかった求めたいものが見えてくるだろう。